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日本のデザイン力に注目 柳宗理の美しい椅子

戦後、日本の工業デザイナーの礎を築いた柳宗理。蝶が羽を広げたような作りの“バタフライスツール”をはじめとし、椅子やキッチン用品、カトラリーといった日常雑貨から、東名高速道路東京料金所の防壁や札幌オリンピックの聖火台を手掛けるなど、彼の生み出した作品は広い分野に及んでいます。
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2016年5月8日更新 / DIY-navi編集部

時代を感じさせない機能美に特化した柳宗理のデザインは、すでにこの世を去った今でも、その影響力が弱まることはありません。そんな柳宗理のモノづくりへのこだわりをご紹介しましょう。

生い立ち

柳宗理は1915年、民藝運動論者である柳宗悦のもとに生まれます。1940年に現在の東京芸術大学にあたる東京美術学校を卒業。翌年、フランスから招聘された建築家でデザイナーのシャルロット・ベリアンの助手として、日本全国の工芸視察や指導に同伴しました。これをきっかけに、柳宗理は工業デザインに注目し、自ら制作に取り組むようになりました。

1966年、彼の代表作であるバタフライスツールを発表。これが世界で注目され、以降、海外の数多くの賞を次々と受賞します。展覧会の審査員や講演の依頼が舞い込むなど、海外でも高い評価を受けるようになりました。
近年では日本でも、紫綬勲章や文化功労賞を顕彰。2011年に亡くなるまで、工業デザインの分野で精力的に活動を続け、数多くの作品を世に送り出してきました。

時代背景

日本は戦後、アメリカ文化が流れ込んだのをきっかけに、それまで継承されてきた床に直接座る畳文化から、椅子を使ったアメリカ式の生活スタイルへ注目が集まり始めました。
戦後の復興とも相まって、安価で大量に生産できる工業デザインという考えが広まり始めたのも、ちょうどこの頃。柳宗理は、そんな時代背景のもと、マスプロダクション(大量生産)という視点から、モノの美しさを追及するようになっていったのです。

機能美を追及する姿勢

柳宗理の父、柳宗悦は、民藝運動を起こした思想家、哲学者として名前が知られています。民藝運動とは、大正時代、日用品の中に「用の美」を見出した日本独自の運動のことで、モノの美しさは見た目だけではなく、その機能性に着目するという考え方。これを提唱したのが、父柳宗悦だったのです。

そんな父の影響を受け、機能美を求める視点は、柳宗理デザインの中心にある考え方と言えます。美しさと同じように、機能性や耐久性にも優れた日常品を追及し、注力したのです。

柳宗理流のモノのつくり方

柳宗理は、モノをつくり出すとき、図面をひくことや、スケッチをすることがありません。その材料を実際に手でいじって模型をつくりながら、デザインを考えていきます。そのため生み出されるラインは非常に独特で、まるで生きているかような動きをしています。この手から生み出されるユニークなデザインこそが、柳宗理の最大の持ち味と評されます。

また、モノをつくるときの材料に対しても、非常に深い意識をもって作品づくりにあたっています。手で触って考えるうちに、その材質固有の特徴をつかみ取り、それを生かした作品をつくり上げる。材料そのものの個性を生かすことも、柳宗理の強いこだわりのひとつなのです。



2011年に96歳で亡くなった柳宗理ですが、今もなお、彼の作品は世に残り、工業製品としてつくり続けられています。そして、それは比較的安価で販売され、私たちも容易に手にすることができます。
洗練されたデザインとその使いやすさ。そして、民衆のための美。彼の作品を手にすると、そんなこだわりがあちこちに感じられるのかもしれません。それが、今もなお柳宗理の作品が、世代や国を超えて愛され続ける理由のひとつなのでしょう。

参考:
美しい椅子 2: にっぽんオリジナルのデザイン力, 第 2 巻
著者: 島崎信 東京・生活デザインミュージアム, エイ出版社
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